晴れたり曇ったり

毎日空を見て暮らしています。良い天気の日もあるし曇ったり荒れたりする日もあるし、日々繰り返し。

8月6日 広島原爆の日 「夕凪の町 桜の国」

 8月6日、昨日は広島の原爆投下日、77年前の事。毎年この日に行われる平和記念式典。マスコミは戦争を行った悪い日本という含みを持たせた核兵器廃絶の論陣を張ります。

 報じるニュースも原爆の悲惨さを強調しひたすら日本に反省を求める内向きなものばかり。今年はウクライナ侵略がありロシアの核による脅かしもあって核の脅威に対する危機感は強い。

 核の脅威に対する方策、核を撃たれないようにするには、若しくは戦争を仕掛けられないようにするには、核を持つ事。この事をウクライナーロシア戦争はハッキリと世界に示した。

 核廃絶は理想ではあるけれど、核の使用自体ナンセンスなものとなってるとしても、攻め込まれない為の抑止力としての所有が有効であると判れば皆持とうとする。

 台湾に対する中国の軍事恫喝、ミサイル発射というきな臭い動き。目の前でゴロツキ国家による問答無用の国家侵略が行われていて、それでも核の悲惨を訴え廃絶への願いを掲げている。

 グテーレス国連事務総長も出席して挨拶、平和を唱えた。しかし国連の平和への実行力はウクライナーロシア戦争でその無力が証明された。ジャイアンロシア、そして中国には国連平和憲章はお飾り。

 各マスコミ、訴えるべきは核の脅かしで小国を蹂躙しているロシア、中国への筆誅でしょう。なのに今朝の中日新聞社説など裁判の再審請求にかこつけて「日本の侵略行為」と自虐を吹かしてる。

 ・・この国の父祖が犯した過ちに目をつぶり、見過ごしていては、同じ失敗の道を歩みかねません・・

 ・・さらに最近、日本の戦争などを巡る諸外国からの批判を「不当な反日攻撃」とみなして・・反撃をしようとする歴史戦という考えも広まってる・・

 ・・先月亡くなった安倍元首相尾もまたこの言葉を使った一人でした・・(こんなところにまで安倍総理をもって来て辱めてる)

 「諸外国からの批判」ってどこの国なんですかね。そんなの特亜しかいないでしょう。中国、韓国、北朝鮮。いかにも世界中から批判されてるように書くけれどアジアも含め日本の戦争を冷静に見る国もある。

 特に東南アジアは欧米の植民地支配から独立への道筋を付けてくれたと評価してくれている。

 (タイ)ククリット・プラモード 元首相

 「日本のおかげで、アジアの諸国はすべて独立した。日本というお母さんは、難産して母体をそこなったが、生まれた子供はすくすくと育っている。今日、東南アジア諸国民が、アメリカやイギリスと対等に話ができるのは、一体だれのおかげであるのか。それは『身を殺して仁をなした』日本というお母さんがあったためである。

 

 

 

 今朝のNHK、原爆記念日のニュースはありませんでした。7時台、民放のニュースではグテーレス事務総長の挨拶や市民の声など拾って報じています。

 なんでNHKは報じないのか。昨日の式典の実況もあったしこれから更に特集で恒例の「戦争をした日本が悪い」を前面に出したプロパガンダでも報じるから扱わなかったのか。

 あて推量すると、この8月6日には極左勢力が各地から集まって拡声器等を使い大声で騒ぐという見苦しい行為が行われているという事を隠したいんではないかと思っちゃう。

 行橋市議の小坪しんや氏が今日のブログでこの件取り上げ、広島の式典に参列してた様子、幟や旗、プラカードを持ち拡声器で大声を出して騒いだそうです。

 多くの外国人も参列し厳粛であるべき鎮魂の式典に場違いな大音声を響かせおのれらの独善をガナリ立てる。さすがに地元広島からは声が上がって市議会も静かにしろという条例が可決。

 表現の自由は良いけれど左翼のやってる事、みっともないし恥ずかしいなぁ。吉祥寺のお米屋さんへの抗議もそうだけれど常識的に考えたら頭かしげちゃう。

 

 
 8月6日の広島原爆の日には、「夕凪の街 桜の国」(作者こうの史代)を読むのもお勧め。同じ作者の「この世界の片隅に」もあるけれど併せて、声高に云わなくても広島の声が静かにしかし強く聞こえてきます。

 この本の事を以前(2017年)にまとめた文章があるので再掲。
 

 少し前に「この世の片隅に」がアニメになって公開され評判となり、本屋さんの販促の平台に上下2巻が並べて置かれ、その脇にもう1冊探していた本があったのでやっと見つけたとさっそく購入(双葉社 800円+税)

 丁度100ページほどの、厚い本ではありません。直ぐ読み終えるほどのページ数ですが、一度読んだだけでは読了とは行きませんでした。それで直ぐまた読み直し始める。

 3回読み直してもすっきりしない、それはこの薄い本の中に実に多くの伏線が張り巡らされていて一筋縄ではいかないからです。読み直す毎に気が付く事が出て来てページを戻し確認するという繰り返し。筋が判ると更に注意深く読み込んでいきます。

 この本、「夕凪の街」編と「桜の国」編(一)(二)の3部構成。広島に暮らし1945年8月6日の原爆投下で父と姉妹二人を亡くした母親と次女の戦後の暮らし。もう一人末の男の子は茨城に疎開して他家の養子となっています。

 皆実(みなみ)という次女、原爆投下後10年を経て年頃の娘となり会社勤めをして恋も芽ばえます。腕にケロイドが残り、職場の同僚に好意を寄せられるも原爆の地獄絵図の記憶と共に自身の将来への不安もあって素直には受け入れられない。 

 やっとそれを受け入れた時、彼女の体から力が抜けていき寝込みやがてなくなります。ここ迄が「夕凪の街」。

 

 「桜の国」は残った母親と末の男の子のその後の物語。母親が一人になってしまい旭という長男は広島の大学へ入学し一緒に暮らし始めます。

 そこでの暮らし、近所に住む親を亡くした兄妹との交流。やがて妹との間に恋心も生まれる。しかし母親は彼女が被爆者である事から「うちはもう知った人が原爆で死ぬのを見とうないんよ」と切ない思いで反対します。それでも二人は一緒になり東京での生活が始まります。

 この二人の間に姉弟が生まれ、桜の咲く西武新宿沿線の新井薬師で母親を交えた暮らし。七波(ななみ)という姉と凪生という弟、男勝りの姉が後編の主人公となり物語を進めていきます。七波が小学生の時被爆者の母親は喀血して倒れ亡くなります。

 その後二人の面倒を見ていた子供達のおばあさん、皆実の母、も80歳で亡くなり、一家は同じ沿線の田無に引っ越す。七波も28歳、定年を迎えた父親の様子がおかしいとある日その後を付けて行きます。そこで新井薬師時代の同級生と出会う。

 実は彼女は看護婦で医師の卵の弟とは恋人関係、親に結婚を反対され悩んでいた。その二人が父親の後をつけ広島へ向かい、それぞれが見聞きした事から自分の抱える悩みに結論を付け、新しい一歩を踏み出すところで物語は終わります。

 原爆という重いテーマが物語を通して響いていますが、読了後のあと味が非常に良いストーリーでした。普通の何でもない人達の戦後、暮らし、原爆という災禍に翻弄させられて、苦しんだり悩んだりしながらもその境遇を受け入れ世代をつないでいく。

 声高に原爆の惨事を告発したりはしていないけれど、名も無い庶民のつぶやきは読む人の心に響きます。この控えめな庶民の声を世界へ向けて翻訳し広めるというのは悪くない。控えめだからこそ届く声というのもあります。

 

 「夕凪の街」編の終り、皆実が亡くなる時、「10年経ったけど、原爆を落とした人は私を見て、やった!また一人殺せた、とちゃんと思うてくれちょる?」という台詞が入ります。原爆を投下した結果についてしっかり見ているかという問い。

 私は死んでいくけれど、それはあなたが投下した原爆の結果、その事について目を見開いてしっかり見て下さいね、という穏やかだけれど強烈な言葉。こう投げかけられたら相手はどう答えたら良いのか、日本が悪かったというしかありません。

 彼等、アメリカもそれは判っている。3/10の東京大空襲もそう、後ろめたいからそれを正当化する為に東京裁判を行い日本が悪かったという結論を押し付けた。日本人はそれを受け入れ現在に至るまでまわりに頭を下げ続けている。

 でもまぁ、いろんな事が明るみに出て来ています。いつまでも呪縛に囚われて後ろばかり向いて暮らす事もありません。つらい思いをしたある一家の戦中、戦後から、桜の舞う七波の育った西武新宿沿線の現在の街で、彼女の将来、幸せを願ってこの物語は終わります。

 シナリオがよく書けていますね。シナリオなのかどうか、作者ノートかも知れませんが、綿密にプロットが組み立てられて作品の完成度が高い。部分を見逃すと浅い読み方となって勿体ない。よく読み込むと作者の意図が伝わります。だから何回も読み返します。

 女性漫画作家の作品には時おり文学作品と称してもいい佳作が散見されます。全部に目を通している訳ではないからもっと沢山の上質な作品がある事でしょう。この作のその一つ、控えめな普通の日本人の人生を描いて心に染み入ります。