晴れたり曇ったり

毎日空を見て暮らしています。良い天気の日もあるし曇ったり荒れたりする日もあるし、日々繰り返し。

日活旧作 「沓掛の時次郎」島田正吾主演 

 子供の頃に旅がらすってのに憧れて、風来坊、渡り鳥、有り体に云えば無宿のやくざ稼業なんだけれど子供にはそんな事判らない。弱きを助け強きをくじき「良いって事よ」とつぶやき去って行く。

 東映の映画かなんか見て格好良いと思ったわけで、物語としてはこのパターンはおいしい。だから繰り返し映画にもなるし演劇にもなるし、ハリウッドだって「シェーン」という秀作がある。

 「シェーン」は1953年、昭和28年の作品ですね。主題曲「遥かなる山の呼び声」も良かった。日活映画には小林旭の渡り鳥シリーズがあって「赤い夕陽の渡り鳥」馬に乗って鉄砲の撃ち合いという訳のわからん娯楽映画だけれどこの主題曲も良かった。

 映画だけではなく歌謡曲にも旅がらす、股旅物がテーマの唄が一杯あって、両方思いつくまま、

 伊那の勘太郎、伊豆の佐太郎、潮来の伊太郎、鯉名の銀平(雪の渡り鳥)関の弥太っぺ、番場の忠太郎、フーテンの寅さんも旅がらす

 股旅物の始祖というか大御所は長谷川伸。幾つも書いてる中に「沓掛の時次郎」、有名だからもじってテレビ番組の「あんかけの時次郎」藤田まことがこれで世に出てきた。

 検索したら随分昔から映画になって、1929年に大河内伝次郎主演が最初(原作は1928年発表)。以後林長二郎、再度長谷川一夫島田正吾市川雷蔵中村錦之助

 テレビでも鶴田浩二大川橋蔵、仲代達也が主演してますね。殺したやくざの女房のおきぬってのが準主役で山田五十鈴、山根寿子、水戸光子、新珠美千代、池内淳子松尾嘉代山本陽子って名前が続く。

 

 アマゾンのプライムビデオのタイトル見てたら日活作品の「沓掛の時次郎」在り。1954年昭和29年の製作。主演は島田正吾雷蔵錦之助のが見たかったけれど流石にそれは売れ筋でラインナップされてない。

 島田正吾は老けてからの演技しか知らないしどんなもんかと見始めて結構二枚目で面白く拝見。渡世の義理で切り合いとなり致命傷を負わせた相手やくざが辰巳柳太郎新国劇の協賛映画でもありますね。

 何度も映画化され芝居でもあちこち上演されてる定番劇だから筋立てに突飛な波乱はない。義理と人情の織り成す股旅ワールド。観客は粗筋判ってて喝采したりホロリとしたり。

 やくざ同士の抗争に一両のため加勢し切り結ぶその最中、身籠ってたおきぬは産気づいて医者を呼べず儚くなってしまう。残ったおきぬの子を背負い時次郎は浅間山に向かい歩き始める。そこに「終」マーク。

 お芝居、講談の世界だから観客は強くて心優しい時次郎に我が身を重ね良い気分になって照明の明るくなって来た劇場のシートから身を起して外に出る。

 このお約束がないと観客はカタルシスを味わえない。娯楽作品である謂い。左卜全が医者役で出てました。通りがかりの酔っぱらい、安宿の亭主とその女房、このばあさん役の悪役やくざへの啖呵、さすが年季の入った演劇人、小気味よかった。


 こういう大衆演劇や講談、落語も含め寄席界隈で演じられる人情劇はある意味日本人の道徳律を形作るのに寄与してたんじゃないかと思う。映画館、芝居小屋や寄席はあの頃の各種学校

 木馬館って浅草にあったけれど、安来節の常打ち館でおねえさんというにはトウのたった丸っこい女性たちがざる持って踊ってた。合間に講談師が講釈台叩いて乃木将軍の一節なんか唸ってた。

 あー云うので言葉の使い方や云い回しを覚えて、ついでにやって良い事と悪い事も覚えた。社会の常識ってのを共有したんではないか。子供の頃は鞍馬天狗新選組や怪傑黒頭巾に胸躍らせた。

 水戸黄門もそうだったけれど、ウソを云ってはいけない、卑怯な事をしてはいけない、悪い事をすれば天罰。勧善懲悪の筋が一本通ってた。今そんな単純なのはのダサいって鼻で笑われちゃいますかね。

 でもこういう筋の通った常識ってのは昔日本人はみんな持ってた日本人の美徳でしょ。今は美徳だったになっちゃてるか。懐古に浸るわけじゃないけれど昔の映画見て今にだって十分通用する。

 水戸黄門のマンネリは有っても良かった。監督が「金何某」になったあたりでそのマンネリは変質し残念ながら超長期ドラマは終わらざるを得なくなってしまった。

 矢車剣ノ助や月光仮面は居なくなったけれど次の世代にはウルトラマン仮面ライダーが登場し今は別のヒ-ローが居るんでしょう。ヒーローは時代ごとに変遷し新たなヒーローが生まれる。

 沓掛の時次郎は大昔のヒーローだけれど、昔人間には心地よい活躍ぶりを見せてくれました。

 まぁでも人間の本質は変わらないんだし、日本人の培ってきた倫理観や道徳っての、この先廃らなきゃいいなぁ。