晴れたり曇ったり

毎日空を見て暮らしています。良い天気の日もあるし曇ったり荒れたりする日もあるし、日々繰り返し。

週刊朝日 休刊 これも時代の流れ 昔は良い週刊誌だったけどねぇ

 週刊朝日が今年6月をもって休刊するというニュース、思うところがあります。20年位前から買わなくなったけれどそれまではずっと読者だった。 

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 毎週火曜日発売の週刊朝日に木曜日発売の週刊文春と新潮。右と左それぞれのカラーを比較して世の中を眺める一つの指標だった。

 しかし左傾斜が強くなりすぎて朝日を買わなくなり、そのうち文春も急速に左旋回、パソコンがXPからVISTAになったあたりから週刊誌は購読しなくなった。

 文春を購読し始めたのは「疑惑の銃弾」頃からで、新潮の谷内六郎の表紙、文春の和田誠の表紙、あの頃は週刊誌に勢いがあった。

 その頃も週刊朝日と併せ3誌は必ず買ってたけれど週刊朝日の購読は年季が入っていてズーっと子供の頃から読者だった。勿論子供の頃は親が購読してたもの。

 新聞も朝日新聞だった。朝刊のサザエさん、夕刊のクリちゃん、やがてフジ三太郎、子供の頃の連載小説「新吾十番勝負」川口松太郎遠藤周作の「おバカさん」ガストン。
 
 思い出す事、思いつくままに、

 表紙絵、小磯良平とか宮本三郎とか、長く続いてよく覚えてるのは東郷青児の無機質な美人画。そのうち写真になって篠山紀信山口百恵の涙ぐんだ瞳、女子大生だった宮崎美子

 連載小説で一番記憶に残るのは山本周五郎の「さぶ」佐多芳郎の挿絵とともに思い出す。今東光の「悪名」田辺聖子の「新源氏物語」は読まなかったけれど岡田嘉男の妖艶な挿絵は覚えてる。

 水上勉の「飢餓海峡松本清張の「黒いシリーズ」池波正太郎の「真田太平記」随分長く続いた。小説ではないけれど司馬遼太郎の「街道をゆく

 グラビアやコラムでは「ナンシー関の消しゴム版画」山藤章二の「似顔絵塾」と「ブラックアングル」

 「私の好きなこの店この一品」という真ん中にあったグラビアページ、懐と相談して行けそうな店には出掛けた。田中小実昌が我が家の味のコロッケ山盛りを自慢してた(記憶混在かも知れない)。

 記事では、北朝鮮に拉致された被害者が正式に公表される前に、日本海側から九州にかけて若い男女の失踪事件が起きてるという何回かに分けた記事もあった。

 署名記事では宮本貢という記者の記事を読んで良い記事書くなと思ったりもしたけどそのうち移動になったのか見掛けなくなった。

 等々、子供の頃から読んできた週刊誌だから、二十年前に見切ったとはいえ週刊朝日が休刊、実質廃刊でしょうが、時代の移り変わりを実感。

 

 朝日新聞社は何時頃からおかしくなってしまったのか。本多勝一の中国の旅やエスキモーの記事は覚えてるけど、広岡知男が社長だった頃からか。

 有楽町のすすけた本社ビルから築地の要塞のごとき本社ビルに移ったのが1980年、あのあたりから左傾化著しく傲慢になり暴走し始めたんではないか。

 若しくは深代惇郎が斃れて以降、彼が体現してた知の良心が失われていったのか。その象徴ともいうべき慰安婦問題。

 火を点けて延焼させて、ネットその他の検証で辻褄合わなくなると誤報認め、姑息な言い訳してるけど、日本を貶めた事への謝罪はしていない。

 【読者のみなさまへ】

吉田氏が済州島慰安婦を強制連行したとする証言は虚偽だと判断し、記事を取り消します。当時、虚偽の証言を見抜けませんでした。済州島を再取材しましたが、証言を裏付ける話は得られませんでした。研究者への取材でも証言の核心部分についての矛盾がいくつも明らかになりました。

 

 今朝のNHKニュース「おはBiz」で項目に週刊朝日の休刊が出てたので見てたら項目だけで報じず。どう報じるのか期待してたのに、どう思ってるんだろうね。