昨日は中学校時代の友人と連れ立って地元のお寺巡り。友人は新加納という地名の所に住んでいるのだけど近くの歴史史跡が整備されたというのでその見学。
新加納という所は旧中山道の宿場、西は加納宿、東に鵜沼宿があってこの間17キロほどの距離があるため設けられた間の宿。
ここを統治していた旗本坪内氏の陣屋跡がこの新加納にあり4年前に跡地の一部に公演が整備されたというのでそれを見に連れだって出掛けた。
昨年は市の有志による歴史研究会、市が主宰する歴史講座に出来る限り出席し市内史跡巡りを合わせて10数回参加した。
参加してこの市の、各務原市の歴史の奥行きの深さに驚かされ何も知らなかった事を思い知らされた。石器時代から縄文、弥生、古墳時代まで遡って先人の遺跡がここかしこに残ってる。
近世に至っても戦国から信長、秀吉、家康に至る戦闘の痕跡あちこちにあり個人的にもこの新加納という地名気になっていた。
津本陽の戦国時代の小説の中に新加納という地名が出てきて驚いた。名鉄電車の新加納という駅名がそのまま出て来るとは、誤植ではないかと思ったくらい。
今は変わったけれど名鉄電車の駅名には新岐阜とか新名古屋とか国鉄の駅名と間違えぬよう新の字をつけて命名してたから新加納もその謂いだと思っていた。
ところがこれは中世荘園の呼び名の一部を加納と呼び、新しく出来た所を新加納と呼んだという来歴の様で江戸初期の記録に坪内氏の領地として新加納村の名が出てくる。
その整備された陣屋跡の公園を見終えてすぐ隣に少林寺という大きな寺院、ここにある事は知っていたけれど中に入るのは初めて。
臨済宗の禅寺、来歴は古く創建1311年、中興1499年、信長の美濃攻めにより焼失。関ケ原の戦いの御坪内氏により再建。
そのすぐ隣にも大きな寺院、真宗大谷派の善休寺。
鐘楼があったので登って鐘をぐるりと見る。そこに「岐阜市 岡本太右衛門尉 藤原定篤 鋳造」と鋳込まれた文字。
歴史歩きで他の寺院を訪ねた時にも「岡本太右衛門」の名が鋳込まれた鐘を見てる。岡本太右衛門は信長の時代から460年続く鋳物師で代々襲名し現在15代目。
帝釈天の鐘も岡本太右衛門製。鍋や釜も作ってたから屋号はナベヤと号してるけれど時代に合わせ今は鐘も作るけれど精密機器や治具メーカーと変遷。
そこで帰る事としたのだけど近くにもう一つお寺がある、和尚は中学校の同級生だというので訪ねた。ここも臨済宗妙心寺派の玉鳳山瑞眼寺。
ここも来歴古く享保年間に坪内氏に願い出て荒れてた古刹を再建し今に至る。上がって話すうち私の高校を聞き同級生が近くにいるからと呼び出す。
二人来て55年ぶりくらいに顔を見合わせ確かに面影は残ってる。寺の来歴やら中高同級生の近況やらあれこれ話題は飛んで2時間半ほど話し込む。
昔は唯の農村地帯だと思ってたこの地がこんなにも古い歴史があったとは。この寺の境内には市の指定する浜見塚古墳群1号墳もあった。
また話を聞きに来ようと思うけれど夕方近くになったので寺を辞する。みんな元気そうではあったけれど年寄りになった。
驚いたのは自分を除いて5人中4人がタバコを吸っていた。タバコ一箱580円だそうで止めないとイカンと云いながら吸ってる。
ニコチン3mgはなるいから8mgを吸ってると云いつつ、でも見てると端っこまでは吸ってない。昔はギリギリ迄吸ってたしシケモクだって吸ってたもんだ。
自分も26の歳まで吸ってたけれどタバコは映画のシーンでも出て来なくなったし昭和の時代の風景になりつつある。