オートバイ議員連盟というのがあって自民党の議員連盟は今は亡き小里貞利衆院議員が作った。この人はサイドカーを運転してカーには奥さんを乗せてる写真を拝見した事がある。
オートバイ議員連盟は野党にも有って超党派の議連も出来てる。国会議員でオートバイに乗る人は意外に多くいてそのうちの一人に高市早苗大臣がいるというのは知る人ぞ知る。
高市大臣はドラムも叩くし愛車はカワサキのZ400GPだった。それは知ってたけれど、杉田水脈議員もバイカーだったとは知らなんだ。
杉田議員の今朝のツイッター見たら、若い頃、スズキのGSX-R250に跨ってはいないけど脇に立ってる写真。SHOEIのヘルメットがタンクの上にある。
結構本気で乗ってたんですね。なんでこんな写真が出て来たかというと、オートバイ議連で東京モーターサイクルショーを視察に出掛けたという報告とともにこの写真が張り付けてあった。
ショーには当日スカートだったから跨った写真はないけれどハンドルに手をかけた写真がある。思わぬ人がオートバイライダーだった。
オートバイ議連で東京モーターショーを視察しました。
— 杉田 水脈 (@miosugita) 2023年3月25日
30年ぶりにGSX-R250のハンドルに触りました。あの匂いを嗅いでいると、もう一度乗りたいなぁと思ったのですが、もう無理かな…。
(続く) pic.twitter.com/h6cAPxpRXY
この東京モーターサイクスショーにはいささか思い出もあり振り返ると、今は東京ビッグサイトで開催される大掛かりなものだけれど、初めの頃は小ぢんまりした地方イベントだった。
東京と名がついてるけど文字通り東京近辺だけでのイベントで主催も関東地区のオートバイ販売デーラーが主体、メーカーは協賛程度、表には出てなかった。
会場も旧後楽園球場敷地内の一角、ショーの歴史を見ると1971年から開催され今年で50回の節目とあるけれど知っているのは1980年に開催されたショー以降。
この時は仕事がらみでもあったけれど、この年の3月に発売予定のホンダのCB250RSというオートバイに一目ぼれしてその下見も兼ねていた。
そこに二人ばかり有名人が来てた。一人は宇宙戦艦ヤマトのプロデューサーだった西崎義展氏。革ジャン着てハーレーでやって来た。
あの頃のハーレーだからショベルヘッド。ただ古くからのライダーではなく最近乗り始めた人のように見えた。
もう一人は栗原玲児氏。我々の世代だと木島則夫モーニングショーのサブキャスターとしての記憶が強いけれど、今は料理研究家の栗原はるみの旦那さん。
この人も2019年に亡くなってるけれど初めてすぐ傍で見た時、テレビの印象で優男と思ってたから思ってたより偉丈夫で驚いた。
そして何でここに居るのかと思ったらかなりマニアックなバイカーだった。あの頃オートバイは暴走族が暴れてて世間の鼻つまみ。
ナナハン免許という大型のバイク免許を取らせないための制度も出来たし、いい大人がバイクに乗るのを公表するのはたためらわれる雰囲気があった。
だから大人のバイク好きはヒッソリと息をひそめて乗ってた。バイクはマニアックになって来るとあれこれ弄りたくなってくる。
それを改造と云ってこの言葉もマイナスイメージで括られ当時はレースで装備するセパハン、セパレートハンドルはご法度、取り締まりの対象だった。
栗原玲児氏は当時セパハンのバイクに乗ってたらしい。レース界では有名なヨシムラというショップのチューニングバイクを持ってたそうでこれがセパハンだった。
ヨシムラチューンなんて普通の人にはちょっと手が出ない。写真で見たけれどタンクも特注のカスタムバイク。高かっただろうね。
その後バイクブームが起こって国内の販売台数もうなぎ登り。嫌がらせみたいなナナハン免許は無くなり普通に教習所で取れる様になっていく。
杉田水脈議員の乗ってたスズキの250は1988年頃のバイク。今から35年ほど前のモノ、彼女は今55歳だから二十歳前後に乗ってた、という事は大学生時代なのか。
30年ぶりにGSX-R250のハンドルの触りましたとツイッターに書いてあるから大学出て社会人の頃か。
バイクは73歳の時に持ってたヤマハのSRXを処分したけれど、16歳に免許を取ってから色んなバイクを乗り継いできたものだから日本の為に頑張ってる杉田水脈議員がバイク乗りであった事を知りなんか嬉しい。
同じくZ400GPに乗ってた高市大臣の事とあわせ日本の為に切り込んで行くが故に左派から叩かれるバイク乗り議員たち、支持せずにはいられませんね。