久し振りにアマゾンのプライムビデオを覗いて、いつもの日活旧作映画。今回は「白い閃光」。上映時間が49分、夕方の短い時間内に見終わる映画って事で選んだ。
1960年の作品、あの頃は作れば観客が押し寄せた時代で通常2本立て興業だったからヒット作の添えもの映画っていう需要もあった。
主演は小高雄二。大体脇役が多くてそれも主人公に対抗して陰で足引っ張ったりする捻くれた役が多かった。
脇役が居なければ主人公も立たないわけで良い脇役が居れば映画の中身も際立ってくる。それでも新人の頃は主役を目指したんには違いない。
まぁ、新人が全てスター俳優になれる訳じゃないからそれぞれの役回りを演じるしかない。良い男なんだけど、スターにはなれなかった。
「白い閃光」ってのは、途中で気が付いたんだけれど白バイの事。どうもこれは警視庁が協賛の映画だったんでしょう。
ストーリーは、主人公小高雄二の兄が白バイ隊員で、違反車を追跡中あくどい急ブレーキで追突し救急車で運ばれる大怪我を負ってしまった。
小高雄二はその知らせを受け病院に駆け付け兄の職場の白バイ隊にも出向く。隊長が二本柳寛。と云ったってもう知る人も少ないか。
小高雄二の仕事はオートバイメーカーのテスト要員。敷地内のコースで試走してる場面が映るんだけれどこれが時代を表して今見れば笑える。
今の暴走族という類は昭和30年代では雷族と云ってた。バリバリやったからでしょう。昔も今もやる事は変わりない。
そしてその象徴としてバイクのハンドルを握り体をシートの上に真っすぐ伸ばして走るフライイングスタイル。これが当時は格好が良かった、という事になってる。
代役が走ったんでしょうけれどコースをフライイングで走って来て停まりヘルメットを脱ぐと小高雄二。あまり無茶するなとか云われてる。
そこに「トーハツ」という大きな看板が画面に映し出される。トーハツの協賛でした。以降出て来る白バイ以外のオートバイは、だからトーハツばかり。
あの頃トーハツは元気だった。じゃぁ白バイは何だったかというと、トーハツは250㏄までの2サイクル車だったから使われてない。
当時の白バイはメグロの500㏄。1960年当時ではまだホンダのCB300㏄は登場していない。そしてこれは良い記録になると思うんだけれど陸王が半々。
陸王は750㏄、地方では陸王の白バイを見た記憶はなし。東京警視庁では1960年頃まだ現役だったんだね。
リアサスがないから後輪がボコボコ跳ねてる。あれでは当時の道路事情と併せオートバイ乗りは胃下垂になった。だからバイク乗り用の腹帯が売り出されてみんな腹にそれを巻いて走ってた。
本筋に戻って、兄に大怪我を負わせた車はダンプらしい。その車の後方写真を白バイに備え付けのカメラが捉えていた。
荷台後部にⅯのイニシャル。それを手掛かりに警察は動いて、小高雄二も会社を辞めダンプの運転手となってその車両を探し始める。
小高雄二にはオートバイを通した弟分がいて彼はギャンブルレースのオートレーサーになってた。レースの映像、ここは何処だろう、関東だったら川口か船橋オートか。
どうもその弟分は八百長レースを強制されていてそれをしなかった事から怪しい奴らにヤキを入れられる。そしてレーサーを辞める。その事が後のストーリーにつながるんだけれどややこしいから省略。
あちこちのダンプの集まる現場を捜し歩きとうとう兄の白バイに急ブレーキを掛け転倒させた運転手を探し出す。しかし相手に気付かれ殴られダンプに押し込められてしまう。
ここで弟分が再び現れ警察に主人公がさらわれたと110番。隊長はヘリコプターに乗り空から逃げたダンプを捜査。
白バイ隊も出動し街道を封鎖検問。特定したダンプを白バイが追跡。やがて悪質運転手は捕まえられて大団円。
最後のシーン、白バイ隊隊列を組んで行進。赤坂迎賓館前を進んで行くところでエンドマーク。見終わってからなんでこんな映画を作ったのかと考えるに、
映画のシーンの中に白バイに取り付けられた写真機の映像。これを広報したかったんでしょう。逃げても写真で証拠を残してるぞという。
今なら誰でもつけてるドライブレコーダー。あの頃は証拠、記録するのが難しかった。それでその頃の技術の粋を集め写真機搭載白バイを作ったんではないか。
スタッフの中に懐かしい名前。音楽監修に三保敬太郎、映画の中の音楽、ドラムとベースの響くジャズっぽい洒落たバックミュージック。
この人は4輪のレーサーでもあってトライアンフとかMGとかいやロータスかな、英国製のライトスポーツカー。そんなのに乗ってたような記憶。