晴れたり曇ったり

毎日空を見て暮らしています。良い天気の日もあるし曇ったり荒れたりする日もあるし、日々繰り返し。

町内のあちこちに歴史の痕跡、遺物、文書が残ってる

 
 愛知県、岐阜県は、名古屋鉄道、略して名鉄がほぼこの地域の鉄道、バス路線を網羅している。名古屋駅には近鉄も乗り入れているけれどその先のレールはない。

 鉄道で競合するのは国鉄だけ。あとは名古屋市内の地下鉄。名鉄電車の駅名は国鉄・JRの名古屋駅に対し頭に「新」を付けて新名古屋。岐阜の場合は新岐阜

 「新」が付けば名鉄の駅と判り易かった。ところが愛知万博開催で他県からの観光客が増えると勘違いされない様にと 頭に「名鉄」と付け「新」を外した。

 全部ではなく名古屋、岐阜、一宮の駅だけ。当市で云えば高山線鵜沼駅名鉄の駅は新鵜沼と変わらない。その先木曽川を渡って犬山に至るけれど犬山に国鉄は走ってないから新犬山とは云わない。

 

 名鉄各務原線国鉄高山戦はすぐ近くを並行して東西に走っている。JRに各務原駅がありすぐそばの名鉄駅の方は名電各務原という駅名。

 同じくJR那加駅の近くの名鉄駅名は新那加。その隣に「新加納」という駅があって、これに対応するJRの駅はない。

 なんで「新」の付いた名前かといえばその近辺の地名が「新加納」だから。JR駅との対比でつけられた「新」ではない。

 

 もう随分前、20年くらい前に確か週刊文春の連載小説に津本陽の、題名失念、信長、秀吉の時代の小説を読んでいてこの近辺が舞台の戦闘描写があった。

 その文中に「新加納」という地名が出て来て驚いた。関ケ原前だから1500年代の終わり頃、そんな時代に頭に「新」なんてつく地名が出て来るのかとびっくり。

 津本陽は資料を読んだ時に間違えたんではないか位に思ってたけど編集者や校正者がチェックし忘れる事もなかろうしズットそれは疑問のままだった。

 

 先日市の図書館へ行く事があって、3階にある市歴史民俗資料館の展示室で「戦国の各務原」という企画展があったので覗いてみた。

 信長が今川義元を討ち取って家康と同盟を結び三河方面の安全を確保したのち尾張から美濃への侵攻を開始。斎藤道三一族の立て籠もる岐阜城攻略。

 その前哨戦が木曽川を挟んでの睨み合い、その舞台となった各務原各地での戦況が残された古文書、資料と共にあってそれが展示されていた。

 

 その古文書、手紙の中に「新加納」の筆書き幾つか。信長や秀吉からの手紙の中にその字が書いてある。「新」が付くから近代になっての名前と思っていたら戦国時代からの古い地名だった。

 成る程、じゃぁ何故「新」加納となったのか、旧の加納はあったのか。そこから10キロほど西へ行けば岐阜市中山道加納宿がある。

 次の宿は鵜沼宿、この間距離が長くて間の宿として設けられたのが新加納。というのだけれど、これは江戸時代に整備された時の話。

 戦国時代には宿場としての整備はまだされていなかっただろうにと考えれば加納との関係が判らない。


 地元の歴史なんてあまり興味はなかったのだけれど講習会等出掛けてみると古代より先祖の暮らした痕跡あちこちに残りその息吹き想像すると歴史が身近なものになる。

 10月から市の用意する市民講座の後期分が開始。二つ申し込んで一つ外れたけど欠員が出て追加申し込み。これは市内の歴史跡を歩くもの。

 そのほかに毎月歴史研究会主催の講演会があってこちらも毎回面白い。新加納という地名の由来もそのうち誰かが教えてくれるでしょう。

 

 昨日山へ、朝方雨だったけれど青空も見えたのでササっと出掛け何とか降られず。さすがに登ってる人は少なかった。
 1か月くらい前に登った時写した山栗、昨日はそろそろ割れて弾けそうになってた。