一日、二日と穏やかに晴れて良き年の始まりと思っていたら、元日午後4時10分頃いきなり携帯スマホから警告音。
緊急警報、”地震です。地震です”という音声、その時にはユサユサ揺れていた。能登半島が震源、震度7.当地では震度4。
いきなり元旦から自然災害、「津波発生、海岸に近づかないよう」とテレビを点けたらアナウンサーが叫ぶように注意喚起。
以降続々と確定情報が報じられテレビは各局通常番組を中止して地震、津波報道一色。お正月気分は吹っ飛んでしまった。
何も正月早々起きなくてもと思うものの天災は人の都合など斟酌しない。いつどんな時に、どんな所で起きるやも知れないのが自然災害。
人災だって、人災の最悪、最大災厄たる戦争だってある日突然一発のミサイルが飛来し国土を破壊し国民を殺害して勃発する。
その兆候はあるものの何時なのかは判らない。だからユメユメ災害に備えるのを怠ってはならない。さりながら自然災害のスケールに人間は立ち向かえない。悲しい結果に打ちのめされる。
今回被災された北陸地方の方々、いずれは自分の事になるかもしれないと心の準備をしつつその悲憤や困惑に寄り添い、亡くなった方にはお悔やみを申し上げます。
正月早々災害救助に駆け付け奮闘されている消防、警察、医療関係、インフラ関係、地域の市町村職員の皆さん。そして頼りになる自衛隊救助隊の皆さん、感謝申し上げます。
#自衛隊 は、#令和6年能登半島地震 に伴い、各種災害派遣活動を行っています。現在、航空自衛隊輪島分屯基地へ、避難を要する住民を最大約1000名受け入れるとともに、要救助者の救助活動等を実施中です。#災害派遣 pic.twitter.com/kluzFAKaN5
— 防衛省・自衛隊(災害対策) (@ModJapan_saigai) 2024年1月2日
この地震災害に対し、
夕方6時になって能登半島地震の被害報道は消えた。代わりに大きく報じるのは航空機事故、なんだこの不吉な新年の出だしは。
2日は新聞休刊日、今朝3日の朝刊、
羽田の事故は昨夕だから新聞割り付けも大慌てで苦慮したんでしょう、情報の少ない航空機事故はまだ扱いが小さい。
記事中、この機体と派遣隊員が能登地震の救援のための物資と専門家派遣であった事が書かれている。二重に痛ましい。
この隙を見て中・露・北がちょっかいを出して来たとしたら目も当てられない。一応中国は震災お見舞いを出している。
台湾が間髪入れず救援隊を準備し我が国に派遣用意が出来たと連絡して来ている所為もあるのかまずは世論懐柔も含んでの様子見。
いずれにしても喫緊時、備えの怠る愚を避けねばならない。野党は国会が始まれば自民党派閥のパーティ資金迂回を攻めると云うがそんなお遊び国会やってる暇ないんだけどね。
斯く波乱の幕開けとなった令和6年元旦だけれど個人の正月記録として、
正月2日はいつものように山登り。300メートル級の山並みは誰にだって登れるし遭難の恐れのある深山渓谷などは無いから子供、老人も楽しめる。
いつも平日午前中に登るため行きかう登山者は老人が殆どだけれど正月2日は若い人も多くいた。
この日は頂上に小さな祠のある神社への参詣、多度大社の末社。2礼、2拍手、1礼。頂上への急こう配の自然石の階段を上り切った所に石の鳥居。
そこに2本の竿を交差させ日の丸が掲げられている。その向こうに広がる濃尾平野。
この日北の方面雲が掛かって御岳山や北アルプスの山々見えず。その西方白山、能郷白山は白く輝きさらに西方、伊吹山。
新春の言祝ぎを申し上げます。