どこかのブログかツイッターで能登半島地震に際しNHKがこの報道に係りっきりになってた事をもってNHKは矢張り必要だという声がずらずら並んでた。
笑止。まずこれを機に必死になってNHKを持ち上げてる様子、評判が悪い事を気にしてたんだなぁと丸わかり。
もう一つ、NHKが必要とされているんではないよ。正確な情報があまねく周知されることが求められているんであってそれはNHKでなくても良いんだ。
民放だって番組途中でぶった切って能登半島地震を報じてた。何も地震報道はNHKだけの専売事案ではなかろう。
CMが入らないからNHKでなければという声もあった。そんな事はない。民放の地震報道中CMは入ってたのか?
喫緊時になれば民放だって特別対応をするだろう。それに地震の速報は我が家でも他の家でも同じだと思うけれどまずスマホが警告音を出して緊急を知らせた。
それからテレビを点けてない人はテレビを点け車運転中の人はラジオのスイッチを入れただろう。まぁ必死の訳は判りますよ。
今の安泰で美味しいNHKをそのまま維持したいんでしょう。ついでに一部のNHK職員にとっては左派偏向と特亜擁護の牙城を堅持したい。
NHK批判の理由に高額年収とそれを支えてる高額受信料を叩く人もいるけど、自分はNHKが価値ある報道、放送をしているのであれば高くても是認する。
公共という看板に値する内容であれば問題ない。なのに批判するのはそうではないから、ないどころか害悪でさえあると思ってる。
多くのチャンネルを持って中には素晴らしい番組もありますよ。金掛けて作ってるんだから当たり前、確かにいい放送もある。
だからと云ってそれが免罪符にはならない。逆にそういう高品質の番組を隠れ蓑にして悪さをしてる、そこが一番問題。
悪さってのは特定の方向にミスリードしようとしてる事。報道は、ジャーナリズムというのは、事件、事象、事実を正確に捉え国民に知らせる事。
難解な問題を判り易く噛み砕いて解説するのは求められている事だがそこに特定思想や個人的偏向を忍び込ませては駄目だろう。
判断をするのは国民であってマスコミじゃぁない。親切ごかしであらぬ方向へ引っ張り込むのは活動家であって報道人ではなかろう。
そう思ったのだけど、情報発信を独占し国民が、世論がマスコミの報道するままになびくのを見て野郎自大に陥るのも無理からぬ事ではある。
羽織ゴロと呼ばれていた時代もあるしイエロージャーナリズムという言葉もある。抑制のきくマスコミ人であれば良かったろうけれど特ダネの手柄に目の眩む人もいる。
先日亡くなった毎日新聞の西山記者とか、死後その行動を評価する業界人もいればそれを批判するネット記事もあった。
新聞記者から作家や評論家に転身した文化人像を見てインテリ斯くあると思った時代もあったけれど、あれはごく一部の上澄み。
同じく毎日新聞の倉重篤郎記者が安倍総理との会見時、椅子に浅く座り足を組んで踏ん反り返り「安倍さんねぇ」と切り出した時に目を疑った。
何様だと思ってるんだお前は、と礼を失するにあまりある態度にマスコミ人の驕慢を見た。お前より学歴上なんだからなと、逆コンプレックス丸出しの見苦しい態度だった。
世論がマスコミの筆加減で面白いようになびくのを見ればマスコミが第4権力の威力に自信を持ち傲慢な勘違いに傾くのは有り得る事だ。
そこへもってきて左に傾いてポリコレやら人権やらを信奉の人格者を気取るのだから世間とずれる。マスゴミと呼ばれる謂い。
「X」ではコミュニティ・ノートが付くし、あれマスコミって馬シカだったんだと気付かれちゃった。高学歴だけど大した事ない奴らだと見限った。
いやそれは云い過ぎか、悪目立ちする輩ばかりではなく高潔で立派なマスコミ人もいる事と思うけれど、NHKにもまともな人はいると思うけれど、総体としてのマスコミは信用がならない。
だったらそんなものだと割り切ってマスコミに対処すれば良いじゃないか。お前には期待するものが残ってるからガッカリして悪態をつく。
そうなんだよね、その通り。ただ放っておくと社会が歪むから面倒くさいし負のエネルギー使って不愉快だけどそれに気付いたみんなが声を上げる。
自分もそのうち、ま、これも思い上がりなんだけど、エラそうな事云ってるなと思うんだけど、腹に溜まる鬱憤をネットの隅っこで吐き出す。
明け方までの雨上がっていい天気。
昨日も山へ登って降りて来た11時少し前、麓の迫間不動に参詣の人増えて来て駐車場は満杯。名古屋ナンバー、尾張小牧ナンバーが目立った。
ろうそくと線香、100円、を買い求め火を灯し奥の院に手を合わせて来た。