晴れたり曇ったり

毎日空を見て暮らしています。良い天気の日もあるし曇ったり荒れたりする日もあるし、日々繰り返し。

古本の処分 買取を期待して行ったけど値が付かない 

 要らなモノを片付けてくれ、掃除の邪魔だと、取り敢えずパソコン系のものは処分した。古いノートやタブレットは市役所へ行って捨てた。

 不要なコードやケーブルが一杯あって確かにまわりはスッキリ。次の標的は本類、少し前に辞書類や書籍大分処分したけれどまだ沢山ある。

 捨てがたいと思って残ったこれら、しかしこの先本を開くことはないだろうなと本棚を眺めて少しずつ処分する事にした。

 

 古本という業態があるのだから古本屋さんへ持って行く。BOOK・OFFというお店もある。しかしこの形態の店の売れ筋本ではない様に思える。

 古本屋さんを調べて岐阜市に個人でやっているお店があったので、どんな本なら引き取ってくれるのか、様子を見てみようと昨日出掛けてみた。

 結論を云えばいきなり車で出かけて持ち込まなくてよかった。買い取って貰えそうな本をあげてみたけどそのまま持ち帰りくださいとなりかねなかった。

  

 一時川柳に夢中になって、そのきっかけは田辺聖子小説現代で「古川柳おちぼひろい」という連載を始めこれにはまった。昭和50年、1975年の事。

 江戸時代、庶民の日々の暮らしや男女の機微。「俳風柳多留」に集められている。さらに遊里の日常、性愛を笑い飛ばした「末摘花」

 その頃関東に住んでいたのだけど本屋に行ってそのあたりの本を探すうち2巻の「川柳大辞典」という辞書を見つけ、当時の給金からすれば高額だったけれど購入。

 ちょっと珍しい辞書は興味を示すんではないかと思ったけれどにべもなかった。50年前の本だからシミもついてる。

 

 

 1冊が2800円、計5600円。著者は大曲駒村、岡田甫の「誹風末摘花」にあるバレ句を熱心に引いたりしてた。

 

 田辺聖子の連載は評判が良くてその後昭和58年から60年以かけて現代川柳を集めた「川柳でんでん太鼓」を連載。これも夢中になって読んだ。 

 田辺聖子は小説家、エッセイストとして評価は既に高いけれど加えて「新源氏物語」や清少納言を描いた「むかしあけぼの」をはじめとする古典文学の領域。

 そしてあまり云われないけれど川柳のおかしみを世に紹介した事も加えるべきだと思う。その集大成が「道頓堀の雨に別れて以来なり」上下2巻。

 そんな思い入れもある辞典の事を聞いたら、俳句なら、川柳はねぇ。結局売れるか売れないかだから売れないものは相手にされない。

 他にも安野光雅や岡田嘉夫の名を上げたが興味を示さず。帰ってから川柳大辞典の古本流通を調べたら2000円程度で売られてる。稀覯本という程のものではなかった。

 

 大曲駒村という人は安田銀行の支店長だった人。浅草支店長の時関東大震災に被災し状況をルポして「東京灰燼記」として本を出してる。

 退職後に浮世絵、古川柳を研究、川柳大辞典を刊行。永井荷風断腸亭日乗を読んでると昭和19年の日記に大曲駒村の名前が出て来る。

 ・・ここ両三年食物の事にて忘れがたき人々の名をしるす・・6人程の名、その中に小堀杏奴、鴎外の次女。8日、炊事苦痛なり。午後大曲喜代子(駒村未亡人)来たり紀州蜜柑一箱おくらる・・

 永井荷風関東大震災に被災してるし銀行の浅草支店長だった経緯もあって親交があっておかしくない。駒村は昭和18年に亡くなってる。

 

 それで電車に乗って帰って来たのだけど、どなたかに引き取って貰えたらと思うもののこれでは仕方がない。再生紙の材料として捨てる他はないのか。

 いささか寂しい話。本、書籍、出版、書店、ネット時代になってキンドルもあるし紙の文化は廃れていくのか。

 

 

 今日の気温、昨日に続いて30度越え。

 四方に雲見えず。