晴れたり曇ったり

毎日空を見て暮らしています。良い天気の日もあるし曇ったり荒れたりする日もあるし、日々繰り返し。

軽3輪というジャンル 昭和の30年代にブームだった

 軽4のワンボックス車で”トーフー”とラッパ音を鳴らしながらゆっくり回ってくる地元のトーフ屋さん、お隣が時々買ってたから散歩の時に出会った折り少し話。

 以前に町の広報誌にこのトーフ屋さん出てました。先代が使ってた軽3輪のトラック、「ミゼット」って写真入り。でもそれミゼットじゃなかった。

 その事を伝えたら「じゃぁ何」って聞くからあれは三菱が出してた「レオ」だって教えてあげました。当代のご主人その頃小さかったから興味がなきゃよく覚えてないでしょう。

 ミゼットは軽3輪じゃ一番売れてたし代名詞。最初は250ccエンジンのバーハンドル。屋根はあるけど扉はない。今見るとオモチャみたいな車だけれど当時はそれでも貴重な運搬実用車でした。

 その後ダイハツ・ミゼットは排気量も上がって丸ハンドルの2人乗り。左右にペラペラだけど扉もついて大威張りで車。あれでデートした若者も居たんじゃないんですか。

 これは売れて他社も追随、マツダはK360、こちらは4サイクルエンジン。三菱自動車もペット・レオ号発売。中学2年の時に始めて運転した車がこのレオだったからよく覚えてる。

 他にも8社ほどから軽3輪の生産が行われたけれどピークは短くすぐに軽4輪に取って代わられます。ミゼットはホールが小さい事もあってスピード出してハンドル切ると外側へ転けたりしてた。

 テレビの「やりくりアパート」って番組で大村崑や佐々十郎が「便利だなーミゼット」「小回りが効くなーミゼット」って宣伝してました。
 
 昭和30年から40年くらいにかけての短い間だったけれど、戦後の自転車バイクからトーハツのバイク(2輪トラックとも呼ばれてた)で後ろにリヤカー付けてモノ運んでた次のステップとして軽3輪というジャンルがありました。


 
 「はてな」の山奥の廃墟をヤマハのスクーターで探訪するというブログを拝見してて、旧い民家に当時の新聞紙があったというエントリー。新聞記事の下に広告の一部が写ってました。

 「軽免許で乗れる三輪トラックの王者」という宣伝コピーの下が軽三輪車の名前らしいけれど文字が切れて読めない。関東圏だから大阪や広島のメーカーじゃなく、だったらあそこかなと想像してコメントした訳です。

 「ホープスター」という川崎にあったメーカーの軽3輪。それだと下が隠れたロゴに合致しそう。そしたら返信があり正解。以前に同じ広告を取り上げた事があってそのイラストを次のエントリーで再掲

 懐かしい軽三、ホープスターです。軽三のブームが終わって軽四に移るとホープスターも軽四を開発。やがて経済成長のとば口に掛かり軽四も大量に売れ始めます。

 ここらあたりで資本力の差が出始め、作るのは良いけれど販売網、整備網、部品供給力のないメーカーはダイハツマツダ、スズキ、三菱、コニー、やがて参入のホンダあたりの後塵を拝す事になっていきます。

 ホープスターは車製造から撤退しますが同社小野社長は軽4輪の四駆車を開発、ごく少数が販売されただけだけれど、この車はのちにスズキのジムニーに技術移転された先駆車。

 
 3輪自動車ってのは元をたどれば二輪車の後ろに荷台をくっつけたもの。だから初期にはバーハンドルで屋根もなく、時々見かけるハーレーの3輪車の後方部分に荷台が付いたようなもの。

 この3輪車は昭和初期からあってエンジンは輸入品。フレーム足回りを自作したものに載っけて販売してました。

 ハーレー、インディアン、これはアメリカ製。JAP、ブラックバーン、BSA等英国製エンジン、そのうち国産エンジンをダイハツが作り始めます。

 もう今は3輪車作ってるメーカーはないけれど4輪車への過渡期に3輪車があって、日本独特の軽3輪というジャンルがあったという自動車史。

 経済成長期において物資輸送に大いに活躍したし自動車産業の進展にも貢献した事は銘記すべきでしょう。軽3輪が活躍してた時代の事、よく覚えてるから懐かしい。

 懐かしついでにその頃走ってた3輪車の名前、ダイハツマツダ、くろがね、ヂャイアント、オリエント・・

 フェリーニの映画「道」で主人公の大道芸人ザンパノが道具類を積んで移動してたのはバーハンドルの3輪車でした。

 ナンバープレートの車種別数字枠、1から5まではあるけれど6はない。実はあって3輪乗用車がその枠。

 なんだけど、3輪乗用車は日の目を見なくて6枠は空き番、だった。でもこれは以前の話で今は小型貨物の枠になってますね。