子供の頃、小学校3年生くらいの時に、同年配の子らに誘われ冬の夜にお経を習いに行った。10人ほど集まってお坊さんの発声についてみんなで唱和。
・・きーみょうむーりょうじゅうにょうらーい なむふかしんぎこー・・って、今でも途中まで云える。子供の頃に習った事は忘れない。
袈裟着てたからお坊さんなんだけどそこは神社でもあって、村祭り、馬を飾って引き回す様子は賑やかでこの時には祢宜さん、頭に冠だか烏帽子だかかぶってた。
一人で坊さんと神主を兼ねてた。小児まひで手足が少し不自由だったけれど、村落の行事を司る大事なポジションの人だった。
斯く、日本の宗教はおおらかで、一昨日も市の主宰する当市の歴史探訪会があって、江戸期創建と思われる禅宗のお寺さんの隣には神社。
岐阜市には伊奈波神社という古い神社があるけれど境内には善光寺があるし神道と仏教の厳密な区別などせず両方のご利益を庶民は当たり前に求めてる。
神様、仏様、助けて下さいって欲張りだけど、神様も仏さまも二股掛けるなって怒らない。第一八百よろずの神が日本にはいる。
道端の石っころだって神になるし山、川、海、そこかしこの自然が日本の神様。日本人のこういう感覚は外国人には理解出来ないか。
キリスト教もイスラム教もユダヤ教も、一神教。神は唯一。他の神を認めない。それが困った事に宗祖、起源は皆イェルサレムにある。
これだから中東の争いにはユルユル宗教の日本人には良く判らないしおいそれとは口には出せない処がある。ややこしい話だと距離を置くしかない。
だけど一つ判った事は、一神教の宗教は苛烈だという事。他と妥協しない、排斥する、攻撃もする。
特にイスラムは、イスラム教は寛容だという言葉をネットに見掛けるがこれはそう見られていない事への云い訳、弁解の類だろう。
実際欧州ではイスラム教を悪し様に云ったものは攻撃されている。日本でも事件の真相は不明だけど翻訳者が殺害されている。
詳しくもない他郷の宗教の事に口は挟まないがどの宗教とも寛容な日本で言論の自由のもとに発言した事にさえ攻撃されるんではお引き取りを願いたい。
火葬の国日本で土葬を認めろという声があちこちで上がってるし、郷に入って郷に従わないで我を通す。学校給食にハラールに気を遣わされるなんておかしな話。
宗教が絡んでいるのか判らないけれど、川口市に入り込んだだ2千人余のモスレムは傍若無人だし過激な事を云って脅しさえしてる。
これは宗教の所為ばかりではなくクルド人の置かれた環境、風土、慣習、教育のあるなしも関わって来るけれど郷の人との融和姿勢は希薄。
これが万の単位にならないうちに厳密な入国審査と犯罪者の国外追放をしないと居座られていずれ大人しい日本人が泣くことになる。
そんなのおかしかろう。先人の築いて来た歴史のある日本を、人道という甘い言葉に惑わされ秩序のないカオス国家に荒廃させられるのは御免こうむる。
それまで生きちゃいないだろうけれど、あとに残る人たちの混乱、苦労を考えれば知らん顔は出来ない。ネットの片隅で声を上げる位しか出来ないけれど。
大袈裟かね、考え過ぎなんだろうかね。