晴れたり曇ったり

毎日空を見て暮らしています。良い天気の日もあるし曇ったり荒れたりする日もあるし、日々繰り返し。

木曽川の河川敷を歩く 転がってる礫を調べる 川の歴史

 昨日は市の主催する「各務原の地質を調べる」講座の4回目に参加。前回座学で岩石の見本を何種類も用意してルーペで確認。判ったような判らんような。

 今回は木曽川の河原へ出掛け実際の河川礫を調べるというもの。前々回の鵜沼、犬山あたりの河原から数キロ下流、景色は変わって丸い小型の石が広がってる。

 

 2メートルほどのビニール紐を置いてその周辺の石の種類、その数を用意したプリントに記録していく。流紋岩花崗岩安山岩、チャート、砂岩、泥岩、礫岩・・

 初めに実際の石を手に取って教えて貰ったのだけれどこれは素人には難し過ぎた。みな同じ石に見えて区別がつかない。

 目安に模様と色を手掛かりに記録するもハッキリ判断できたのは赤茶色のチャ-トくらい。上流から流れて来たらしいもの、でも数は少ない。

 30分ほどたって15,6人ほどの参加者の結果を聞いて、さらに講師先生の講評、みな大外れ。一番多くあったのは流紋岩

 以前この辺りで調べた結果では8割近くが流紋岩であったとの事。ついで花崗岩。河原の石ほとんどが白っぽいけれど中には青っぽいのもある。

 これが何なのか聞けばこれも流紋岩。帰ってからネット調べると流紋岩も色々あってニワカ岩石調査員にはこれは判断付かない。

 流紋だから模様が流れてる石探すのだけどそんなに多くはない。誰かが探したのが一つあってこれなら判りやすい。

 

 

 石は難しいなぁと思いつ今回の講座、太古の昔に堆積したチャートから始まりマグマが固まり出来た火成岩、それが河川を流れ小石となって砂となって行く遥かな時の流れ。

 他にも受けている講座や講演、当市や近辺の歴史、史跡、遺跡巡り、大昔からここに住んだ先人の話、木曽川があったから積み上がった歴史。

 木曽川は恵みばかりではなく災害ももたらしたであろう事との闘い、地学と歴史学が重なって河原の石ころにも、源流から流されて丸く小さくなっていく過程の歴史あり。

 

 次回は各務原台地がどのように出来たのかを探訪する予定。やがて台地に人が住み始め石で矢じりを作ったり石器で木を切ったり、土をこねて土器を作ったりした歴史が始まる。

 講座は幾つも受けていて別の研修では前方後円墳の遺跡を訪ねたばかり。市内には非常に多くの古墳がありやがて壬申の乱から承久の乱、戦国時代、近代へとつながる。

 大正時代、台地に飛行場が出来航空機産業が興り第2次世界大戦では米軍からの空襲を受け、その痕跡多々ありやがてこれも当地の歴史となり語り継がれる。

 そう俯瞰してみるとこの大河ロマン、知り得ることはほんの一部分でしかないけれど、今につながる郷土の暮らしの足跡、興味は深く面白い。

 

 それにしても各方面それぞれにマニアックに深い知識を持つ人たちがいて、在野の知見集めれば、今はネットがあるからそのクラウド知識、データの集積は、アカデミックな研究の底上げ、補完足り得てすそ野が広がりますね。

 ネットでチャートの事を書いたら、放散虫の大好きな人とか、山や川を歩いて地質を調べてる人とか、山の木、どんぐり大好きな人とかの反応があって、リンク先を訪ねられます。

 そちらにお邪魔してみれば皆さん深い知識をお持ち。かつ素人にも判り易い知の入り口。知のすそ野が広がる。