晴れたり曇ったり

毎日空を見て暮らしています。良い天気の日もあるし曇ったり荒れたりする日もあるし、日々繰り返し。

伽耶古墳群 ユネスコ世界遺産に 坊の塚古墳 前方後円墳 

 日本のニュースでは見なかったけれど韓国南部の古墳群が世界遺産に登録されたって云うニュースがネットに上がってた。 

hosyusokuhou.jp

 これを紹介するブログのコメント欄、「大丈夫かって」心配してる。そこはかつて任那の日本府があったところだろうって。

 随分前の話になるけれど、若い人に「任那の日本府って学校で習ったか」尋ねたら習わない、知らないという。若いっても今50代の人。

 我々の頃は教科書に載ってたけれど今はその記述はなく教えてないんだ。50代の人が10代の頃と云うんだから40年っほど前の事。

 1980年代に高校生、80年代頃から教科書問題いろいろあったし歴史教育でも任那の日本府は消されちゃったんだ。

 コメント欄拾っていくと、朝鮮半島南部は大和政権の支配地だったと、それは記録にもあると指摘してる。

 ・・魏志倭人伝とか宋書倭の五王の記述とか。隋書にも「新羅百済はみな俀を以って大国、珍物多しと為し、並びに、これを敬仰し、恒に使を通じ往来す。」とある・・

 前方後円墳が見つかった時には韓国は埋めてなかった事にしてたと、つまりそれは前方後円墳が日本独自な墳墓である事を知ってたという事。

 このブログでも朝鮮南部の歴史について触れてる。 

deliciousicecoffee.jp

  
 前方後円墳は当市にもあって、先日訪ねてみた。そんな墳墓がある事はつい最近まで知らなかった。市の歴史研究会という所に出入りするようになって知ったばかり。

 市内の中学校に通っていた頃にでも学びそうなものだけど教えられなかったのは、この古墳が地域の所有で最近になって市に寄贈され調査が行われ知られるようになったらしい。

 全長約120m、後円部直径72m、前方部幅66m、高さ10メートル。県内で2番目の大きさ。多くの木々に覆われ近寄って見ると確かに前方後円墳

 すぐ近くに小型の前方後円墳があるし市内にはこのほか円墳も含め700期もの古墳があるという事。
坊の塚古墳は、4世紀末~5世紀(古墳時代中期)に築造されたと考えられている。

 

www.city.kakamigahara.lg.jp

   

 この古墳には少しばかり縁があって、実はこのすぐ前あたりに母親の父母が住んでいて同居の母の弟、おじさんとすぐ前の空き地でキャッチボールをした覚えがある。

 小学3年生くらいの頃、母親、弟たちと一緒に名鉄電車の羽場駅を降りて桑畑の中を歩いて行くとおじいさん、おばあさんの住んでる家があった。

 おじいさんは木曽川の上流加茂郡の人だけれど若い頃朝鮮にわたりそこで鉄工業を営んで5男4女を育てた。

 母親は朝鮮で生まれ朝鮮育ち。戦争が終わって日本に引き揚げてきた時は20歳。上の兄弟はそれぞれ独立したり兵隊に行ったり。

 引き上げて当時稲葉郡鵜沼町と云っていた当地にやって来たのはおじいさんの姉の嫁ぎ先が鵜沼の農家だったから。

 そのお姉さんは何度も弟のいる朝鮮に遊びに来てたから一家で頼り近くに家を借りて住んでた。一番下の10歳位だった弟は、訪ねた頃には大学生、キャッチボールをした空き地は今思うと古墳の前あたり。

 その事を確かめようと先日古墳を訪ねた折近くを歩いて見たけれど流石に風景は変わっていた。同時に家のあった辺りバイパス道路が敷設されて無くなってしまっている可能性が高い。

 思い出してみるとその家から南を眺めるとすぐ前は崖になっていてその先を高山線が走っていた。とするとバイパス道路の走っているあたりに該当する。

 子供の時はキャッチボールをした空き地は神社のようなつもりでいたけれど古墳だったとすればそれも有り得る。

 確かめようにも皆亡くなってしまった。30年前に当市に戻って来て棲むうち、引っ越しばかりしてた人生だったけれど、回り道して一族の故郷に戻って来たような気がしてる。