桐島聡と思われる男が亡くなった。末期がんを患っていて死期を悟っていたのだろう、名乗りを上げて自分自身に戻ったところで死んでしまった。
不明な事が一杯だから断じにくいけれどなんとも哀れを感じてしまう。ひとを死傷させた爆弾テロ実行犯の一人だと判っているけれど無残やなと思ってしまう。
一つには長年働いていた仕事場で「内田くん」と呼ばれていたという記事。70にもなってまだ君付け呼ばわりされていた事から浮かぶそこでの待遇。
偽名では当然免許もなかろうから単純な作業員でしかないだろう。健康保険も失業保険もなく年金も払ってはいまい。
それらを要求できない後ろめたさを感じ取られて都合のいい作業員として使われていたんではないか。本人も詮索されないならばそれで良かった。
記事では数十年ここで働いてとある。訳ありの人にはそういう仕事場があって何とか生きていける。贅沢な事は云っていられない。
こんな実態は他にもある。70年代のキャバレー、昼間フラっと入って来て働きたいといえばその夜から従業員。寮の寝床と食事を確保できる。
2,3日いてスッと消えるのもいれば居つくのもいる。給料は貰えるけど各種保険の類はなし。まともな若者もいれば怪しげな偽名もいる。
切羽詰まって犯罪犯しかねない人にとっての緩衝ゾーン。桐島聡が50年近く指名手配を逃れ生きて来られたのはそんな曖昧な闇の部分があったからといえよう。
ただその生き方は逮捕におびえて息を潜め日常の暮らしのあらゆる方向に気を配り心休まる事は少なかったんだろう。
人並な生活は望むべくもなくだから二つ目、住み込みだという住宅の様相を見て、朝日新聞がそれを写真にしてるけれど、その酷さに胸ふさがれる。
剥がれそうな屋根、ボロボロの雨戸、夏は暑かったろう、冬は寒かったろう。部屋には寝具と暖房機具だけだったという暮らし。
明治学院大学に入り黒田某、宇賀神某と知り合い仲間に、行動を共にした黒田某は捕まって無期懲役、宇賀神某は懲役18年。
捕まれば自身も無期懲役となる事を恐れたのか社会の片隅にひっそりと住む場所を見つけ息を潜めていたけれど病魔に侵されてしまった。
爆破の被害にあった人たちの事を思えば当然の報いなのかも知れないが、何十年と過ごしたその孤独と寂寥、痛ましい。
中学の時隣のクラスに頭脳明晰、スポーツ万能にて眉目秀麗という絵に描いたような秀才がいた。当然のように東大へ進み30年も経った頃、彼の写真を新聞記事に見た。
過激派として指名手配され50歳前後の時に逮捕されたという記事。消息は聞いてなかったけれどこんな人生を歩んでいたとは、とても残念に思った。
1960年代後半から70年代にかけての学生運動の嵐がなければ、学生運動にからめ取られていなければどんな人生を送っていたんだろう。
彼の高校の同級生には同じく東大へ進んだ古田岐阜県知事がいる。岐路違えなければ政界、官界、経済界で実績を上げてたんではないだろうかとその資質を惜しむ。
これはしかし凡人の戯言、60年代70年代の空気の中でボケてたノンポリに云われる事ではない、後付けで能書き云うなと云われるかもしれない。が、矢張りあの輝きを惜しむ。
ネットにはこういう結果になった事に対し突き放した見方も多くある。結局市井の片隅に沈んで自由を奪われ捕らわれの身と同じ境遇になってる。因果な話。
広島の家族も辛い年月を送って来ただろうしみんな救われない。若さの暴走、未熟の妄想、まわりに迷惑かけて悲しませて70年代の残滓が消えていく。
昨日久し振りに御岳、アルプスの山々展望。
これは野口五郎岳ではないかと思うけど・・
ヤマガラもいた。なかなかいい写真を撮らせてくれない。