晴れたり曇ったり

毎日空を見て暮らしています。良い天気の日もあるし曇ったり荒れたりする日もあるし、日々繰り返し。

3月11日 東日本大震災 明治24年濃尾地震による断層

 3月11日、2011年のこの日の午後2時46分、岐阜県に於いても地が揺れた。しばらくして東北の各地の惨状報告され始める。

 次の日になって原発建屋が壊れるとニュース。いずれ修復されるだろうとそれ程心配はしていなかった。

 なのにさらにその翌日になっても建屋からの白煙収まらず何をしてるんだと困惑と苛立ち。手際の悪さが信じられなかった。

 あとになってその失態が民主党政権の不手際だと判明。特に菅直人首相の出しゃばりと無能ぶりが原因だと判る。

 余計な事をしなければ、現場に任せておけば済むことを、自身の韓国がらみの献金問題の追及をかわすための一芝居とばらされる。

 マスコミもその隠ぺいに協力、吉田福一所長の手記を捏造迄した朝日新聞の「プロメテウスの罠」産経新聞にウソだとばらされて社長が謝罪。

 まったく民主党政権は碌な事をしなかった。今になっても菅直人は自身の失策を誤魔化そうと事実の書き換えをしたりしてる。

 

 昨日のマスコミ、NHKも中日新聞も、3・11追悼記事満載。新聞1面には政府広報で2時46分から1分間の黙とうをお願いしますという囲み。

 今年新年一日の能登半島地震津波の被災もあって改めて我が国は地震災害に見舞われる、これ迄幾たびも見舞われてきた国土だと改めて認識。

 天災は他にも律義に襲ってくる台風、火山爆発といった自然災害の絶えない国。そんな危ない国なら捨てれば良いのに、我が先人は捨てず何千、何万年と居住してきた。

 我が棲む当市も木曽川長良川に挟まれこの大河は過去に幾多と暴れ住民を翻弄してきたんであろう。

 下流羽島市には輪中という囲いが築かれ水害に抗して来たし全国夫々被害を受けながら国土を改良して緑の国土を作り上げた来た。

 これからも災害に襲われながらも工夫してこれを乗り越えていくんでしょう。我々の先祖がそうして来たように。

 

 昨日は午前中いつもの山登り。幾つもある登山口のうちから昨日登った途中には断層跡と書かれた看板がある。

 明治24年に起きた濃尾大地震本巣郡根尾村を震央とする地震によって出来た根尾谷断層、国の天然記念物になってるけれど当地にもその痕跡。

 看板はあるけれど断層がどの部分なのか良く判らない。地元の人に聞いても要領を得ない。

 それが昨日、立ち入り禁止の看板が立ってた。元の看板から入って脇道がその断層部分なのか、人が歩いて踏み固められ往時の状況が判らなくなっている。

 それからするとその脇道分のずれが断層跡なのかもしれない。1891年、今から133年前の事。

 麓のお不動さんにはこの断層についての案内看板があり地震で多くの村人が亡くなったと記されている。

 そんな災害に遇いながらも日本に住む先人たちはその都度立ち上がり我が国土を築いて来たんだ。これからもそうして行くんでしょう。

 

 気温が10度近くあって少し霞んでいるけれど久し振りに見た御岳山。

 その隣、

 またその隣

 馬酔木の花、日当たりのいい場所の花から咲いてる。