旧作の日本映画を観ようとAmazonを検索。そこに日本映画じゃないけれど前から気になってたタイトルがあったので観賞、「Eight days a week」ビートルズが主題の作品。
2016年日本公開、監督 ロン・ハワード この人はアメリカン・グラフィティに出てた人。1954年生まれだからこの映画の時代、19602年から66年頃には10歳前後、渦中の年齢と云っても良いでしょう。
映画は記録されたフィルムをつないで折々にビートルズの嵐が吹き荒れた当時の関係者やファン(その中にはシガニー・ウィーバーやウーピー・ゴールドバーグ)のインタビューを挟んであの嵐のような時代を振り返っていきます。
デビュー前、ハンブルグ時代、リバプール・キャバーンの時代、マネージャーブライアン・エプスタインとの出会い、音楽ディレクター、ジョージ・マーチンとのめぐり会い。
レコードレビューするや英国、米国での爆発的ヒット。追いかける様に欧州、そして日本での人気沸騰。当時高校2年生の私もその渦に引き込まれます。
その同時代の記憶をなぞる様に映画は再現。証言者の中にリチャード・レスター、ビートルズの最初の映画「A Hard days night」の監督。
「ア ハード デイズ ナイト」はコンサートに、スタジオに、演奏する彼らの日常を追いかけるというドキュメント風ドラマ。それがオーバーラップしてこのドキュメント映画に没入。
1962年のデビュー前から最後の人前での演奏となった1969年の屋上コンサートまでですが、実質スタジオに籠もって実験的な音楽作りを始める1966年頃までを主とした記録。
1970年のビートルズ解散の頃には色々あったけれどそういうネガティブな映像や話はない。だから素直に彼らの活躍をなぞって若かった頃の記憶に浸れました。
それにしても、今更ながら、ビートルズの出現は大事件でした。人気が沸騰してインタビュアーが尋ねる。「バブルが弾けて人気が落ちたらどうしますか」という無神経な、しかし誰もが思ってた意地悪な質問。
ところが人気が落ちるどころか更に熱狂的な支持を得て、それに応えるかの様に彼らも素晴らしいヒット曲を作詞、作曲、発表する。その頂点はニューヨーク・シェアスタジアムでのコンサート。
58000人を集めた球場。最早屋内施設でのコンサートは不可能。当時の音響設備ではこれだけの聴衆を相手にした演奏は出力不足。音楽をやりたい彼らはこの辺でこうした興業に限界を感じスタジオに戻っていきます。
日本公演も取り上げられています。海外公演は15カ国90都市で行われたけれどワールドツアーに組み込まれドイツ公演を終え次に立ち寄った日本公演。
3日間で5回を行い次のフィリピンへ。その様子が挿入され指定カメラマンだった浅井愼平が当時の様子を語っている。ドイツやフランス公演を差し置いて何故日本がというと、強い拒否反応があったからでしょう。
ビートルズの日本公演は実に大事件でした。日本中の様々な階層を巻き込んでとんでもない大騒ぎとなったイベントでした。このあたりは実に日本らしい出来事。
今からすると考えられないけれど巻き込まれた階層の一番上は総理大臣。つまり政治も巻き込んでたった4人の来日公演を巡り侃々諤々、その理由のひとつは公演場所が武道館であった事。
武道鍛錬の場をペートルズとかいうモンキーダンスの不良バンドに貸すとは何事かと云う反対論が立ち上がり政府も見過ごす訳にはいかなくなった。
テレビの時事放談という番組で小汀利得と細川隆元が異を唱え、読売新聞社主正力松太郎、佐藤栄作も登場、そして日本愛国党総裁の赤尾敏。
街宣車に乗ってビートルズ公演反対の演説をぶっている赤尾敏の映像がこの映画の中に出て来ます。警察は混乱を恐れ総動員の厳戒態勢、結局公演は行われビートルズは去って行きました。
監督のロンハワードにすれば日本のこの様子は大いに興味の湧く事だったのでしょう。当然日本人の中にも興味を持った人は沢山いて特に張り切ったのが竹中労。
チームを作りビートルズ来日から去るまでの嵐を徹底取材し、6月29日に羽田に到着し7月3日に飛び立った2週間後の7月15日に「ビートルズレポート」を刊行、書店に並ぶという荒技。
しかしこれはあまりにも素早すぎて結局売れず大失敗。なんだけれど、このジャーナリズム魂に溢れた出版物は識者の大絶賛を受ける。
その筆頭が三島由紀夫。「これは3大戦後ルポルタージュのひとつ。永久保存したいから3冊購入する」と出版元に連絡してきた。売れなかったけれど本の評価は高かった。
出版元は「話の特集社」矢崎泰久編集長というアクの強い個性の元に70年代一世を風靡した雑誌の主幹。売れないから本は出版社に送り返される。置くとこないから裁断処理。
当時私も手に入れようとしたけれど現物がないから手に入らない。幻の雑誌と化したんですが後にこれを復刻しようと云う動きが出て1982年に白夜書房から出版。これは手に入れました。
巻頭、五木寛之の長文。4人の3日間公演にこれだけの前書きが載るのはビートルズというグループの偉大さもあるけれど、取材して書きまくった竹中労というジャーナリストの存在。
竹中労は日本共産党員でこのレポートを書く前に中国に飛び紅衛兵のウネリを見て興奮してた。毛沢東に心酔しビートルズ現象とは対極にある物書きだったのがこれを著わした。
そして各方面から高い評価を受けた。全然売れなかったけれど。でも後世に再刻されて1966年という時代の一角を切り取った仕事は記録として残っている。
映画は飽きず楽しく拝見。ビートルズは時代現象だから様々な意見や捉え方はあるけれど、映画の中でポールが語る様に「良い曲を作ろうとみんなで工夫するのが楽しかった」
ジョンが云う様に「ポッと出て来たんじゃない。下積みで頑張ってきたんだ」世に出てビッグになるという夢。根本は音楽を作る事に熱中し頑張ってきたというシンプルなもの。
その音楽が素晴らしいものばかりだったから世界中が熱中し、あまりにも急激な膨張だったから回りがついて行けず軋轢も生まれた。その記録ですね。
この後には多くのミュージシャンが続いた事も含め矢張りビートルズは奇跡であり偉大な存在だった。同時代にその波に乗っかってきた事は幸せ。いろんな思い出がめぐってきます。